大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所小倉支部 平成3年(ワ)890号 判決

原告

山部英毅

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

安部千春

田邊匡彦

横光幸雄

尾崎英弥

高木健康

本田祐司

吉野高幸

住田定夫

配川寿好

荒牧啓一

河辺真史

前田憲徳

年森俊宏

蓼沼一郎

被告

新日本製鐵株式會社

右代表者代表取締役

千早晃

右訴訟代理人弁護士

松崎正躬

畑尾黎磨

山崎辰雄

加茂善仁

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告の原告山部英毅に対する平成二年九月一日付の中央研究所本部富津試験室開発試験掛勤務を命ずる旨の転勤命令は無効であることを確認する。

二  被告の原告中野雅治に対する平成三年七月一日付の技術開発本部TSセンター試験室開発試験第一掛勤務を命ずる旨の転勤命令は無効であることを確認する。

三  被告は原告中野美智子に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成三年一〇月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、北九州市に事業所を有する製鉄会社の従業員二名が、同人らを千葉県内の事業所に転勤させる旨の会社の転勤命令は、労働場所を北九州市に限定した労働契約ないし労使慣行に違反し、または合理性、必要性がなく、人事権の濫用に当たるなどと主張して、会社に対し右転勤命令の無効確認を求め、右従業員のうち一名の妻が、右転勤命令により夫が単身赴任を強いられたことにより家庭生活を破壊され、精神的損害を受けたと主張し、会社に対し慰謝料の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実及び証拠(甲三の1、2、四ないし七、九ないし一五、一六の1ないし3、一七ないし二四、二五の1、二六の1、2、二七、二八、三四ないし四五、五〇ないし五四、五七ないし六七、六八の1ないし24、六九ないし七二、七四ないし八二、乙一及び二の各1、2、三、四及び五の各1の1、2、四及び五の各2の1、2、六ないし一九、二一ないし四三、四六ないし五〇、五二、五三、五四の1、2、五五、五六、六〇ないし六四、六七及び六八の各1、2、六九ないし七一、七二の1、2、七三ないし七九、八〇の1、2、八一及び八二の1ないし3、八三、八四及び八五の1、2、八六、八七の1、2、八八ないし一〇二、証人中村碩、同加藤忠一、同対馬忠明、同安樂勇、同福田敬爾、同塩紀代美、同小山田武、原告山部英毅、同中野雅治、同中野美智子)により認められる事実

1  被告の事業内容等

被告は、昭和四五年三月三一日、旧八幡製鐵株式會社(以下「旧八幡製鐵」という。)と旧富士製鐵株式會社(以下「旧富士製鐵」という。)との合併により設立され、従来は、製鋼の製造及び販売を主たる事業目的としていたが、漸次事業領域を拡大し、現在は、非鉄金属、セラミックス及び化学製品の製造販売、製鉄プラント、化学プラント等の産業機械、装置及び鉄鋼構造物の製造販売、建設工事請負、都市開発事業、宅地建物の取引及び賃貸、情報処理、通信システム及び電子機器の製造販売、通信事業、バイオテクノロジーによる農水産物の生産販売、教育、医療、スポーツ施設等の経営、以上に関する技術の販売等を目的としている。

被告は、平成三年六月二七日当時、本社を東京都千代田区に置き、製鉄所部門として八幡、室蘭、釜石、広畑、光、名古屋、堺、君津及び大分の各製鐵所並びに東京製造所、エンジニアリング事業部門としてエンジニアリング事業本部及び中国協力本部、新規事業部門として新素材事業本部及びエレクトロニクス・情報通信事業本部、以上の各部門に対応する全社共通部門として技術開発本部を設置し、国内各支店及び海外事務所を設けていた。

平成三年三月一日当時の被告の従業員数は約五万四〇〇〇人、資本金は約四一九〇億円であった。

2  原告山部英毅(以下「原告山部」という。)及び原告中野雅治(以下「原告中野」という。)の経歴及び同原告らに対する転勤命令

(一) 原告山部は、福岡県立福丸高等学校を卒業後、昭和三六年七月一五日、旧八幡製鐵に臨時作業員として雇用された後、二か月の試用期間を経て、同年九月一五日付で作業職社員として採用され、八幡製鐵所戸畑製造所第一ストリップ工場一冷延掛に配属された。

原告山部は、昭和三七年五月一日、八幡製鐵所技術研究所へ配置転換され、その後、被告の研究開発組織の改組等に伴い、昭和五〇年二月、研究開発本部生産技術研究所に、昭和五八年六月二九日、中央研究本部第三技術研究所試験室試験掛にそれぞれ所属することとなったが、いずれも全社レベルの研究開発を担当する組織における試験実験部門であり、本件転勤命令発令当時は、主担当として、中央研究本部第三技術研究所試験室試験掛の下部組織である熱・エネルギー作業系列に所属し、主として鋼材の伝熱流体・エネルギー等の分野で、伝熱装置や各種の炉設備を用いた熱処理試験実験に従事していた(第三技術研究所試験室試験掛の熱・エネルギー作業系列は、平成三年六月に中央研究本部が技術開発本部に組織改正されるまでは、中央研究本部富津試験室開発試験掛の反応・流体作業系列に、後記の総合技術センター設置後は、技術開発本部TSセンター試験室開発試験第一掛の反応・流体作業系列に組み込まれた)。

(二) 原告中野は、福岡県立福岡工業高校を卒業後、昭和三五年六月二〇日、旧八幡製鐵に臨時作業員として雇用された後、二か月の試用期間を経て、同年八月二〇日付で作業職社員として採用され、八幡製鐵所戸畑製造所第二ストリップ工場ブリキ掛に配属された。

原告中野は、昭和三七年四月一日、八幡製鐵所技術研究所へ配置転換され、以後、被告の研究開発組織の改組等により、昭和五〇年二月、研究開発本部生産技術研究所に、昭和五八年六月二九日、中央研究本部第三技術研究所試験室試験掛にそれぞれ所属することとなったが、いずれも全社レベルの研究開発を担当する組織における試験実験部門であり、本件転勤命令発令当時は、主担当として、中央研究本部第三技術研究所試験室掛の加工プロセス作業系列に所属し、主として真空圧延機、小型熱間圧延機等を用いた鋼材の圧延試験実験業務に従事していた(第三技術研究所試験室試験掛の加工プロセス作業系列は、後記の総合技術センター設置後、技術開発本部TSセンター試験室開発試験第一掛の表面流体作業系列に組み込まれた。)。

(三) 被告は、平成二年九月一日、原告山部に対し、中央研究本部富津試験室開発試験掛勤務を命ずる旨の転勤命令、平成三年七月一日、原告中野に対し、技術開発本部TSセンター試験室開発試験第一掛勤務を命ずる旨の転勤命令をそれぞれ発令した(以下「本件転勤命令」という。)。

3  被告従業員の種別

被告の従業員は、従前、主務職社員(大学卒業資格で入社した者で、研究所においては、研究者や設備エンジニア等がこれに該当する。)と技術職社員(高校卒業資格で入社した者で、研究所においては、研究者の試験実験等の補助をする職種がこれに該当する。旧八幡製鐵においては、作業職社員と呼称されていた。)とに大別されており、採用手続、賃金体系、人事調査票の様式(主務職社員用の調査票には転勤に支障となる事情等を記載する欄があるが、技術職社員用の調査票には希望勤務地を記載する欄しかない。)等において異なった取り扱いがなされていたが、平成九年ころ、人事処遇制度の改正により、主務職社員と技術職社員との区別はなくなった。

4  被告の労働組合

(一) 被告には、本社、各製鐵所、製造所の各所在地域(「箇所」と称される。)毎に労働組合が組織されており、これらの上部組織として新日本製鐵労働組合連合会(以下「連合会」という。)がある。

被告は、従来から、連合会との間において、被告の社員はいずれかの箇所労働組合の組合員でなければならない旨のユニオンショップ協定を含む労働協約を締結しており、原告山部及び原告中野は、本件転勤命令発令までは、いずれも新日本製鐵八幡労働組合(以下「八幡労組」という。)に所属し、本件転勤命令発令後は本社労働組合に所属している。

(二) 被告の労働協約は、経営審議会、労使委員会(旧八幡製鐵においては「生産委員会」と称する。)及び団体交渉の三種の労使交渉制度を定め、中央においては被告と連合会との間で全社共通事項を、箇所においては被告と当該労組との間で箇所限りの事項を取り扱うこととしている(一四条)。

経営審議会においては、主要設備の建設計画、稼働開始及び休止計画等の経営に関する重要事項を取り扱い(一六条)、労使委員会においては、組合員を大量に配置転換または転勤させる場合の基準方針、福利厚生に関する重要事項を取り扱うこととされ(二二条)、組合員を大量に配置転換または転勤させる場合には、公正妥当を期するため本人の技能や個人的事情等を可能な限り参酌する旨、右配置転換または転勤に関する規定は参事補である社員及び主務、医務職社員の異動については適用しない旨が定められている(二二条覚書二項)。

また、団体交渉においては、労使があらかじめ所定の手続によって申し入れた事項を取り扱うこととされている(三〇条)。

このほか、職場における労使の意思疎通を図るため、室または工場単位で、室または工場限りの事項を取り扱う職場生産委員会が設けられている(三二条)。

八幡労組は、平成二年六月一日当時、組合員数約一万〇五〇〇人を擁し、下部組織として五六支部を有していた。

5  被告の就業規則及び労働協約における転勤規定

原告山部及び原告中野が入社した昭和三五、六年当時の旧八幡製鐵株式会社八幡製鐵所の社員就業規則(四九条)には「社員に対しては、業務上の都合によって転勤させ、または職場もしくは職種を変更することがある」旨の規定があり、同原告らに対して本件転勤命令が発令された平成三年当時の就業規則(五三条)には「社員に対しては、業務上の必要により転勤させ、職場もしくは、職務を変更し、または出張させることがある」旨の規定がある。

また、被告が連合会との間で締結している労働協約八幡箇所協定(五三条)には「会社は、業務上の必要により、組合員を転勤させまたは職場もしくは職務を変更することができる」旨の規定があり、同協定においては、組合員を大量に配置転換または転勤させる場合の基準方針は、労使委員会の付議事項とされている。

6  被告の研究開発体制の概要

(一) 被告は、旧八幡製鐵と旧富士製鐵の合併に際し、従前両社が各々保有していた旧八幡製鐵東京研究所(川崎市所在)、同八幡製鐵所技術研究所(北九州市所在)及び旧富士製鐵中央研究所(神奈川県相模原市所在)等の機能を再編して研究開発体制の整備を行い、従前の研究施設を活用する形で、川崎市に基礎研究所、相模原市に製品技術研究所、北九州市に生産技術研究所をそれぞれ設置し、全社レベルの研究開発を担当させる一方、各製鉄所固有の技術開発課題に対応する研究開発については、各製鉄所毎に研究部門を設置していた。

(二) その後、被告は、事業分野の拡大や社会経済環境等の変化に対応するため、数回にわたり研究開発組織の改正を行ってきたが、昭和五六年六月、主として全社レベルの研究開発につき、研究所相互間の連携協力関係を深めるため、中央研究本部を設置し、各研究所及び各製鐵所地区に設置された箇所技術研究部をその下部組織として位置づけ、各研究所毎に行っていた研究テーマの企画調整を中央研究本部で一括して行うことを決定し、昭和五八年六月、大規模な組織改正を行い、従前、基礎研究、製品研究、生産技術研究の各機能毎に分担していた研究体制を改め、製品工程別に基礎から応用、実用化まで一貫して研究開発が行われるよう組織を再編した上、基礎研究所を第一技術研究所、製品技術研究所を第二技術研究所、生産技術研究所を第三技術研究所と呼称することとした。

(三) 右組織改正後平成三年六月に技術開発本部が設置されるまでの間の、被告の研究開発体制は以下のとおりであった。

(1) 中央研究本部の第一ないし第三技術研究所においては、各研究所に所属する主務職社員である研究者がそれぞれの専門分野における創造的研究開発を行い、技術職社員がその研究開発活動を支えるのに不可欠な試験実験作業及び研究開発設備の維持、保全、試作等を行っていたところ、第一技術研究所(平成元年八月当時の主務職社員数三五八名、技術職社員数一三三名)においては、主として鉄鋼材料及び製造技術の基礎研究、新素材関連の材質、加工、利用技術、製造法及び新製品の開発研究を、第二技術研究所(平成元年八月当時の主務職社員数二〇五名、技術職社員数一八〇名)においては、主として鉄鋼製品の加工及び利用技術に関する研究、鉄鋼の新用途及びこれに適した新製品の開発研究等の製品技術研究を、第三技術研究所(平成元年当時の主務職社員数二〇一名、技術職社員数二八二名)においては、主として鉄鋼製造に関する新技術の研究、新設備の開発及び工業化研究、新プロセスによる製品開発等の生産技術研究を行っていた。

(2) 一方、各技術研究所における研究開発成果である技術原理、技術的な諸条件ないし数値結果等を活用し、機械、電気計装、土木建築等の要素技術を組み合わせ、実際の生産活動に使用する各種設備を構想設計し、建設に結びつけるための設備エンジニアリング機能については、設備技術開発、要素技術開発を含め、昭和五四年六月に設備技術センターから改組された設備技術本部が担当していた。

設備技術本部の主たる業務内容は、生産設備の設計及び工事管理に関するプラントエンジニアリング業務、設備技術開発業務、設備技術の集約及び蓄積を行う設備技術活動業務に分類されていたところ、プラントエンジニアリング業務及び設備技術開発業務は主として八幡地区において、新規分野に関する設備技術開発は広畑及び君津において、設備技術活動及び設備技術本部内の総合的な運営調整は東京本社においてそれぞれ行われていた。

(四) 被告は、平成三年六月二七日、組織改正により、中央研究本部及び設備技術本部を統合して、新たに技術開発本部を発足させ、同本部の下に、管理部門として技術開発企画部及び調整部、研究開発活動に不可欠な試験実験、設備保全等の支援機能を集約して担当するTS(テクニカル・サービス)センター、主に旧中央研究本部第一ないし第三技術研究所を再編した鉄鋼研究所、プロセス技術研究所、先端技術研究所、エレクトロニクス研究所(平成元年六月に相模原地区に新設された。)、旧設備技術本部を母体とした設備技術センターをそれぞれ設置するとともに、箇所研究部門として、従来どおり各製鐵所毎に技術研究部(室)を設置した。

右各組織のうち千葉県富津市に立地する鉄鋼研究所、プロセス技術研究所、設備技術センター及びTSセンター等は「総合技術センター」と総称されている。

7  総合技術センター設置基本構想の策定及び組合との協議経過等

(一) 被告は、昭和六〇年二月ころ、研究開発体制を抜本的に見直すため、プロジェクトチームを編成し、約一〇か月間の検討を経て、千葉県富津市に総合技術研究所(後の総合技術センター。以下同じ)を設置し、第一ないし第三技術研究所を統合して、設備技術本部を併設するという基本構想を策定し、同年一二月三日開催の中央臨時経営審議会において、連合会に対し、右構想につき以下のとおり説明した。

(1) 被告は、鉄鋼事業を基礎として、エンジニアリング事業、化学事業を積極的に展開し、新規分野として新素材事業への進出を図ることによって複合経営戦略を進めてきたが、新たな成長分野における技術開発のテンポは極めて速く、多角的事業戦略を展開するためには技術研究開発力の強化充実が不可欠であり、総合的な研究開発体制の整備が急務となっているところ、現行の研究開発体制は地理的に分散しているため、先端情報交流及び新分野研究への対応、研究開発成果の迅速な実用化、技術研究開発部門の生産性等の諸点で問題があり、これを克服することが重要課題となっている。そこで、分散していた研究開発体制を統合し、もって、技術研究開発体制の充実を図り、研究開発の効率性を高め、研究部門と設備技術部門の業務上の一貫性と効率性を追求するための技術研究の拠点として、新たに総合技術研究所を建設する構想を持つに至った。

(2) 総合技術研究所の立地は千葉県富津市の君津製鐵所に隣接する被告所有地とし、その規模は約七〇万平方メートル、工期は昭和六一年度以降昭和六五年までの間とし、人員措置としては、原則として現設備技術本部及び第一ないし第三技術研究所の人員で充足する。

立地として千葉県富津市を選定したのは、学術、技術、経済の拠点である首都圏に所在し、東京湾横断道路、上総新研究開発都市構想等の計画があり、二一世紀に向けて大きな発展の可能性を持つ地域であること、多品種を揃えた総合製鐵所である君津製鐵所に近く、製造部門との密接な技術提携が可能であること、君津製鐵所に付属する福利厚生施設等が活用でき、さらに今後の拡充設備が可能な後背地を有していること等を総合的に勘案した結果である。

(二) その後、被告は、同年一二月一〇日、同月一九日及び同月二七日、中央臨時経営審議会を開催して連合会と交渉を重ね、その結果、連合会は、同月二七日の審議会において、被告に対し、総合技術研究所を設置し、設備技術本部を統合する構想を理解した旨表明するとともに、右構想にかかる組織、要員、工期等を具体的に検討するにあたっては、組合員やその家族への影響につき十分留意すること、異動に伴う持家や子弟の教育問題等について諸条件の整備を行うこと等を要請した。

(三) 被告は、右基本構想を推進するため、昭和六一年七月一日、総合技術センター建設推進本部を本社に設置し、研究施設の移転統合に関する計画を担当する研究班、設備技術本部の集約に関する計画を担当する設備技術班、全体のとりまとめ及び社宅等のインフラに関する調査調整を担当する総合調整班の分担により、具体的な実施計画を検討した。

総合技術センターの施設建設に関する計画、施工、監理については、設備技術本部の設備エンジニアが担当し、必要人員の充足及び転勤計画については、中央研究本部及び設備技術本部の各人事管理部門が担当した。

8  中期総合計画

(一) 被告は、昭和六〇年秋以降の為替市場における大幅な円高進行の中で、昭和六二年二月、総固定費、総資産の削減によりコスト競争力を強化するため、鉄鋼内需(粗鋼)の減少に見合う余剰能力の削減、これに伴う要員の合理化を図ることとし、室蘭、釜石、広畑及び堺の四製鐵所の高炉を休止し、鉄源を八幡、名古屋、君津及び大分の四製鐵所に集約するとともに、八幡製鐵所の高炉一基を休止し、君津製鐵所を高炉二基稼働体制から三基稼働体制とし、右再編による要員減約七〇〇〇名に加え、昭和六五年度末までに合計約一万九〇〇〇名の要員を削減すること等を内容とする「製鉄事業中期総合計画」、複合経営の推進、事業構造の転換を図るため、新素材、エレクトロニクス、情報通信システム等の新規事業分野に対応し、各製鉄所周辺地域のニーズに沿った多目的な人材活用を図ること等を内容とする「複合経営推進の中長期ビジョン」からなる「中期総合計画」を策定し、これを推進していくこととした。

(二) 右中期総合計画の実施にあたり、八幡製鐵所においても、生産設備休止に伴う要員合理化により、平成二年度末までに四二〇〇名の要員削減が必要となった。同製鐵所は昭和六一年度末時点で一五〇〇名の余剰人員を抱えており、平成二年度末までに、定年(年満)退職等により三〇〇〇名、新規事業への吸収により五〇〇名の人員が減少する見込みであったが、なお七〇〇名が余剰人員として残ることが予想され、平成二年度末における余剰人員は合計約二二〇〇名にのぼると見込まれていた。被告は、右余剰人員につき、全社的に雇用の維持確保を図るため、近隣地域の他業種他産業への出向措置、社外派遣、八幡製鐵所内での新規事業における人材活用、他箇所への長期応援等を実施することで対応することとしていた。

また、生産設備を休止する室蘭、釜石、広畑及び堺の各製鐵所の余剰人員の雇用確保のため、平成二年度末までに約一五〇〇名(転勤後出向者を含む。)の技術職社員を右各製鐵所から名古屋、君津及び大分の各製鐵所へ転勤させる措置がとられることとなった。

(三) 被告は、昭和六二年二月一三日、中央及び箇所経営審議会を開催し、連合会と八幡労組に対し、中期総合計画の内容、同計画が必要となった背景等について説明し、その後十数回にわたり、中央臨時経営審議会において、連合会に対し、同計画の内容、具体的な施策等につき説明及び質疑応答を行い、各労組の意見を聴取した。

八幡労組は、右同日、合理化計画対策委員会を設置して、同計画への対応について検討することとし、その後、同委員会、中央執行委員会、中央委員会において、同計画の疑問点や組合としての意見を把握、集約し、被告との交渉を行った。

(四) 連合会は、昭和六二年五月二〇日開催の中央臨時経営審議会において、被告に対し、今後の具体的な人員措置につき組合員の生活実態、適性、個人的事情及び意向などを可能な限り斟酌すること等の要請を付した上で、中期総合計画を了解する旨表明した。

(五) 被告は、昭和六二年八月四日、中央労使委員会において、連合会に対し、中期総合計画に伴う転勤措置について、昭和六五年度(平成二年度)末の余剰人員は約六〇〇〇名と見込まれ、同年度末までに鉄源休止製鐵所から少なくとも一五〇〇名に及ぶ大量の人員を転勤させる措置を講じることが必要であるが、受け入れ側製鐵所の態勢からして、社内のみならず関連企業、協力企業への人員措置が必要であり、右措置には、転勤者の中に相当数含まれる高齢者を主として対象とする転勤後出向も含まれ、また、持家の処分、子弟の教育、家族の病気その他やむを得ない事由により単身赴任する転勤者については、単身赴任が解消するまでの一定期間について、二重生活に伴う経済的負担を軽減するための援助措置を講じる旨を提案した。

右提案を受け、連合会は、中央執行委員会で関係各労組の意見を集約した上、四回にわたる中央労使委員会における被告との協議の中で、持家処分に関する援助期間の延長、単身赴任者の援助措置の適用期間の延長等を要請した。

被告は持家処分の援助期間を一年延長するなど、概ね右申し入れを受け入れる方向での回答をした。

(六) 連合会は、昭和六二年九月一〇日、転勤措置とその取り扱いについて了解する旨表明したが、その際、被告に対し、各箇所において雇用確保策としての新規事業を積極的に展開すること、転勤措置の人選等にあたり、各人の持家状況や家族構成等を可能な限り考慮すること、転勤者につき万全の受け入れ体制をとること等を要請した。

9  総合技術センター設置に至る経緯

(一) 被告は、経営環境の悪化に対応して総合技術センター設置に関する基本構想を一部修正し、新素材分野を含む新規事業関係の研究部門の総合技術センターへの移転を延期し、まず製鉄事業に直接結びつく鉄研究部門を結集し、併せて設備技術本部を統合することとし、昭和六三年三月一八日、中央臨時経営審議会において、連合会に対し、総合技術センター設置計画につき、以下のとおり説明した。

(1) 敷地面積 約七〇万平方メートル

(2) 工期 昭和六三年から昭和六七年(平成四年)まで

(3) 統合内容と実施時期

〔第Ⅰ期〕鉄の戦略的研究開発課題、中長期基本課題への取り組み体勢を構築する上で特に統合が急務である第一技術研究所の鉄鋼基礎、第二技術研究所の薄板及び表面処理、第三技術研究所のほぼ全部の各研究機能を統合することとし、昭和六三年度に建設に着手し、昭和六五年(平成二年)度中に移転を完了する。

〔第Ⅱ期〕第二技術研究所の薄板及び表面処理を除く全部の鉄製品研究を統合し、鉄の中央研究体制を完成させることとし、昭和六六年(平成三年)度中に建設を完了する。

〔第Ⅲ期〕設備技術本部等を統合することとし、昭和六七年(平成四年)度に建設を完了する。

(4) 人員規模 第Ⅲ期時点で主務職社員約八〇〇名、技術職社員約四〇〇名とする。

(5) 人員措置 第一ないし第三技術研究所に所属する研究者及び設備エンジニアからなる主務職社員については、全員を転勤対象とし、技術職社員については、原則として全員を転勤対象とするが、重複設備の削減、老朽設備の新鋭化、同種同機能設備の集約配置、コンピューターシステム導入、人員の機動的な配置運用等により相当程度人員を削減できるため、必要最小限の人員に留めることを基本方針とし、人数としては、中央研究本部関係で三六〇名、設備技術本部関係で四〇名の合計四〇〇名とする(昭和六三年一月一日当時、第二技術研究所及び第三技術研究所に在籍していた技術職社員は約五三〇名であり、そのうち約三〇名が出向中であった。また、設備技術本部関係の技術職社員は約七〇名在籍していた。)。

なお、精錬及び凝固研究については、鉄分野研究の中で枢要な位置を占め、厳しい時間制約を伴う同業他社との開発競争下にあり、可能な限り早期に設備の近代化を含めて強力な研究開発体制を確立する必要があるため、総合技術センターへの人員配置に先行し、昭和六三年一一月に、第三技術研究所の精錬及び凝固研究関連実験に従事する技術職社員約二〇名を、君津製鐵所構内に配置転換することとする。

(二) 右説明を受けた連合会は、関係労組にこれを報告し、被告との二回の話し合いを経て、昭和六三年四月八日、総合技術センターの建設に伴う転勤等の人員措置の具体的実施策に積極的に協力する旨を表明した。

(三) 被告は、昭和六三年一一月、当初の計画に従い、第三技術研究所の精錬及び凝固研究の関連実験に従事する技術職社員約二〇名を君津製鐵所構内に配置転換した。

被告は、平成元年四月、総合技術センター建設計画について、鉄部門の競争力強化と複合経営の展開を図る上で研究開発の果たすべき役割が重要性を増してきたとして、総合技術センターの早期完成を図ることとし、同月二五日、連合会に対し、当初計画における第ⅠないしⅢ期の工期を、第Ⅰ期につき平成二年五月末に建設を、同年一一月末に移転を完了し、第Ⅱ期につき平成三年三月末に、第Ⅲ期につき平成三年六月末にそれぞれ建設を完了し、いずれも同年九月末に移転を完了することを目途に推進する旨説明し、同年五月二四日、連合会は、右建設計画の前倒しを受け入れる旨表明した。

(四) 被告は、平成元年七月下旬ころまでに、総合技術センターの設置に伴う人員措置(作業系列別の配置人員規模)及び移転時期を決定した。

中央研究本部関係の必要人員は、作業系列別の職場単位においてそれぞれの技術、技能の継承を図る趣旨に基づき、総合技術センターにおける作業系列別の職場単位で積算した結果、三四〇名(先行して君津製鐵所に転勤していた精錬及び凝固関連の技術職社員約二〇名を除く。)とされ、被告はこれを各研究所の作業系列別の職場単位毎に割り振り、第二技術研究所から約一四〇名、第三技術研究所から約二〇〇名を充てることとした。

(五) 被告は、平成元年八月七日開催の中央及び箇所各労使委員会において、連合会及び関係労組に対し、総合技術センターへの技術職社員の転勤につき、次のとおり説明した。

(1) 転勤対象者は、第二技術研究所、第三技術研究所、設備技術本部の炉材開発室(八幡在勤)及びファインセラミックス応用開発室(広畑在勤)に所属する技術職社員とし、第Ⅰ期(平成二年六月から同年一一月)は、第二技術研究所から約三〇名、第三技術研究所から約一三〇名の合計約一六〇名、第Ⅱ期(平成三年四月から同年九月)は、第二技術研究所から約一一〇名、第三技術研究所から約七〇名の合計約一八〇名、第Ⅲ期(平成三年七月から同年九月)は、設備技術本部から約四〇名とする。

第三技術研究所及び設備技術研究所からの転勤者については、家族帯同の者に対しては三〇万円、その他の者に対しては一九万円の特別赴任手当を支給し、持家処分に関する援助措置、居住費等の援助措置、転勤先における住宅資金の特別貸付け等は、中期総合計画に伴う技術職社員の転勤者の取り扱いに準じることとする。

(2) 第一ないし第三技術研究所、エレクトロニクス研究所(平成元年六月二九日付けで第一技術研究所から機能移管した。)及び設備技術本部において総合技術センターに機能を移す予定の業務に従事する研究者及び設備技術者を中心とする主務職社員も総合技術センターに転勤させる。

(3) 第三技術研究所が保有する機能のうち、電磁鋼及び鋼管の箇所支援研究開発、溶解、圧延、分析及び腐食等の共通試験の一部は八幡技術研究部へ移管することとし、これらに従事している人員規模は概ね二〇名程度であるところ、右機能移管に伴う人員措置としては、基本的には八幡技術研究部の人員で対応するが、必要に応じて八幡地区からの人員補充も実施する予定である。

(4) 総合技術センターを早期かつ円滑に立ち上げるため、移転時に第三技術研究所及び設備技術研究本部(八幡在勤)に勤務している者のほぼ全員を転勤の対象者とするが、平成二年度末までに年満となる者及び出向者については、転勤後の職務従事期間や出向会社の事情等を勘案し、原則として転勤対象から除外する。

(5) 第一技術研究所から移転する鉄鋼基礎研究に関する試験実験業務は、第二技術研究所及び第三技術研究所から移転する業務体制の中に統合再編し、右鉄鋼基礎研究に関する試験実験業務に従事している技術職社員は、新素材等の新規分野の研究関連業務に従事させる。

(六) 被告は、平成元年八月二一日開催の箇所労使委員会において、第Ⅰ期における第三技術研究所からの技術職社員の転出者一三〇名の作業系列別配置人員の内訳は、工程管理二名、反応・流体二七名、要素技術四三名、溶解圧延三二名、分析一六名、設備一〇名である旨説明した。

(七) 連合会及び八幡労組は、中央及び箇所労使委員会における数回にわたる質疑の後、平成元年九月一一日、被告に対し、「総合技術センターの設置に伴う転勤措置とその取り扱い」を了解する旨表明した。

八幡労組は、右了解にあたり、①人選については、本人の個人的事情等を参酌し、細心かつ慎重な対応を図ること、②社宅、寮の十分な整備を行うなど万全な受け入れ体制を作り、入居にあたり個人の事情を十分斟酌すること、③持家の処分、取得及び子弟の教育問題等につき誠意ある対応を図ること、④転勤者の生活設計のため、具体的な転勤期日を早期に明らかにすること、⑤転勤者の不安解消のため、総合技術センターの組織、機能を早急に明らかにすること等の点に十分留意するよう要請した。

(八) 平成二年九月、原告山部を含む第Ⅰ期の転勤候補者に対し、転勤命令が発令された。

(九) 被告は、平成二年一二月二〇日開催の箇所労使委員会において、総合技術センターへの第Ⅱ期(平成三年四月から九月、中央研究本部関連)及び第Ⅲ期(平成三年七月から八月、設備技術本部関連)の作業系列別技術職社員の配置人員を、中央研究本部第二技術研究所から一一〇名、同第三技術研究所から七〇名、設備技術本部(八幡在勤)から二〇名、同(広畑在勤)から二一名とする旨説明した。

(一〇) 被告は、平成三年三月ころ、第三技術研究所における全社的な研究開発支援に関する共通試験機能のうち溶解、圧延、機械の試験実験機能(真空溶解、熱間圧延及びクリープ試験)の一部について、富津地区への移転時期を延期し、暫定的にTSセンター東田試験掛を設置し、当分の間、同所において試験実験を継続することを決定し、同月二二日開催の中央臨時経営審議会において、連合会に対しその旨説明するとともに、右同日、箇所労使委員会において、八幡労組に対し、平成元年八月の時点で計画していた第三技術研究所から八幡技術研究部への箇所支援研究開発機能、設備の移管に対応するため、第三技術研究所から八幡技術研究部へ一五名程度の技術職社員の人員措置を実施する予定であり、また、前記共通試験機能の一部の移転延期に対応するため、第三技術研究所から一五名程度の技術職社員を東田地区勤務とするほか、健康上の理由や運動選手である等の事情のある若干名を東田地区勤務とする見込みであるが、継続試験の終了その他の事情が安定した時点で、基本的には総合技術センターへ配置する旨説明した(なお、平成四年七月ころ、移転が延期されていた共通試験機能のうち溶解及びクリープ試験機能については、同年度末までに総合技術センターへ移転することが決定されたが、圧延機能については、さらに東田地区での稼働が継続されることとなった。)。

(一一) 被告は、平成三年六月二七日、組織を改正して技術開発本部を発足させ、そのころ、千葉県富津市において、技術開発本部傘下の組織のうち、鉄鋼研究所、プロセス技術研究所、設備技術センター及びTSセンター等を統合した総合技術センターの稼働を開始した(但し、緑化工事等の付帯工事を含めて、同センターが完工したのは同年九年であった。)。

(一二) 平成三年七月、原告中野を含む第Ⅱ期の転勤候補者に対し、転勤命令が発令された。

(一三) なお、当時、総合技術センターへの移転が先送りされていた先端技術研究所は、関連施設の建設用地が確保されているにすぎなかったが、被告は、その後、同研究所を総合技術センターに統合することに決定し、平成一〇年四月二〇日、連合会に対し、右統合及び人員措置等につき説明した。

10  第三技術研究所における人員措置

(一) 平成元年五月ころ、当時、被告の中央研究本部調整部調整室長の地位にあった対馬忠明(以下「対馬」という。)は、第二技術研究所及び第三技術研究所の事務総括室長、試験室長及び設備室長に対し、関係従業員に転勤についての理解を深めさせるための方策を講じるよう求めるとともに、転勤者の人選について、職場全体の移転であり、当該職場に在籍する技術職社員全員の転勤を原則とするが、平成二年度までに定年退職する者及び出向者を除外し、特段の事情があるため転勤そのものが難しいと考えられる者(本人の重度の疾病、傷病等で転居や転勤先での勤務に堪えず、もしくは困難である者、本人が特殊な疾病、傷病に罹患し、専門の医療機関や医師等の治療を受けるため、転勤が困難である者、同居の家族が疾病、傷病等のため、本人を中心とした家族の日常的な介護を必要とし、本人や家族以外にその対応が取れない者、ないしはこれに準ずる者)については、人選の過程で参酌するように指示し、かつ、技能技術の連続性を維持するため、転勤先においてもそれまで従事していた職務に就けるよう配置を考慮することを指示した。

(二) 右指示を受けて、当時、中央研究本部第三技術研究所試験室長兼設備室長の地位にあった安樂勇(以下「安樂」という。)は、第三技術研究所に在籍している技術職社員について、日常の労務管理の中で把握していた各人の個人的事情を整理し、また、平成元年当時、各人が従事していた職務に従前の職歴、保有資格等を加味して、転勤先での職務配置を検討した。

平成元年八月当時、第三技術研究所には二八二名の技術職社員が在籍していたが、このうち二三名が既に他社に出向しており、二八名が平成二年度末までに定年退職する予定であったため、総合技術センター設置に伴う人員措置の検討対象となるのは二三一名であり、そのうち、八幡技術研究部への機能移管に伴う人員措置の対象者約二〇名を除く約二〇〇名の転勤が予定されていた。

安樂は、転勤候補者の人選に当たり、基幹要員若干名及び転勤困難な特段の事情を有する者を優先的に八幡技術研究部への機能移管に伴う人員措置に充てることとした。

(三) 平成元年九月一一日に転勤措置について組合の了解表明がなされて以降、第三技術研究所においては、所長が直接、第三技術研究所に在籍する技術職社員全員を対象に総合技術センター設立の意義、目的、計画内容について説明を行った上、安樂の指示を受けた各作業系列の作業長が各部下の技術職社員全員と、平成元年九月から一〇月、同年一一月から一二月、平成二年一月の三回にわたり、就業時間内に、個別的に一回三〇分ないし一時間程度をかけて話し合いを行い、本人事情を確認するとともに、総合技術センターへの転勤の必要性、転勤条件や社宅、寮、教育、医療等の各種転勤援助特別措置につき説明し、転勤への理解を求めた。転勤に難色を示した者に対しては、さらに掛長や室長が直接話し合いを重ねた。

また、安樂らは、八幡労組からの転勤措置にかかる要請事項に対処すべく、調整部調整室と連携し、従業員に対し、転勤措置への理解促進及び転勤に伴う不安解消のため、転勤相談室を開設し、技術職社員の更衣室があるサブセンターのロビー等に転勤先での生活環境に関する資料、新聞等の閲覧コーナーを設置したほか、総合技術センターのパンフレットの配布、転勤先の生活環境等を収録したビデオの映写会、既に転勤した職制による現地状況説明会等を開催するなどした。

(四) 安樂は、第三技術研究所の技術職社員全員について、かねて同人らから提出されていた自己申告表ないし個人表、扶養届、定期健康診断の結果等により把握していた事情と個人面談の結果に基づき「転勤そのものが難しいと思われる特段の事情」の有無を判定した上、平成二年四月ころ、中央研究本部調整部調整室長の対馬に対し、転勤候補者を上申した。

安樂が右上申において転勤が困難な特段の事情を有する者、あるいはこれに準ずる者とした具体的な事例には、①本人が心臓病を患い、人工弁を取り付けているため身体障害者第一級に認定され、定期的な検査や人工弁の取り替え等が必要な者、②同居の父親が左膝下切断のため身体障害者第四級に、同居の母親がパーキンソン病で同第三級に認定されている上、本人が特殊な疾病(バージャー病)に罹患している者、③妻が難病指定されているベーチェット病に罹患している者、④別居の母親が強度の痴呆症で入退院を繰り返している上、別居の兄も精神科に入院しており、実質的に本人が世話をしている者、⑤妻が三一歳で死亡し、四歳と一歳の子供を本人の実家に預け、週末実家に帰省している者等があり、これらの者については、八幡技術研究部への機能移管に伴う人員措置及び東田地区に残留した設備対応のための人員措置により対応することとされた。

(五) 平成三年三月ころ、前記のとおり第三技術研究所における全社の研究開発支援に関わる共通試験機能の一部につき、富津地区への移転時期を延期し、東田地区において試験実験が継続されることとなったため、これに対応するための技術職社員の人員措置が必要となった。

安樂は、基幹要員(当該技能に特に優れていて、その業務全般を掌握している者)若干名と「転勤そのものが難しいと考えられる特段の事情」を有する者をこれに充てることとした。

(六) 平成三年七月一日付けで、第三技術研究所から一五名が八幡技術研究部へ異動し、三三名がTSセンター東田試験室掛に残留したため、第三技術研究所からの総合技術センターへの転勤者は最終的に一六六名となった。

(七) 被告は、平成三年八月、総合技術センターへの転勤者数が当初の予定を下回ったため、平成三年一〇月から平成四年度末までの一年六か月間、各箇所技術研究部会から合計二五名の応援を求めることを決定した。

11  原告らとの話し合いの経過

(一) 原告山部

(1) 被告が原告山部について把握していた個人事情としては、妻が厚生年金病院に勤めていること、子供が二人いること、北九州市内に自宅を保有していること等であった。

(2) 被告は、平成元年九月から同年一二月にかけて、作業長に原告山部との個人面談をさせたが、原告山部は、家庭事情については「プライバシーの問題である」として応えず、「経済的に成り立たない」「会社責任で八幡地区に職場を確保すべきだ」「妻が働いており転勤できない」等の理由を述べて、絶対に転勤には応じられないと応答した。

このため、平成二年二月以降、安樂も直接原告山部と話し合いを行い、移転設備との関連や技能対応からみた原告山部の転勤の必要性、他の転勤対象者との比較における人選の公正妥当性、富津における妻の再就職の可能性や単身赴任援助措置、さらには八幡地区での受入職場のないこと等について繰り返し説明し、転勤に対する理解を求めたが、原告山部は「八幡に残してほしい」「転勤には応じられない」旨繰り返し、転勤先での妻の就職斡旋の申し出に対しても「妻は九州厚生年金病院に長期間継続的に勤務しており、転勤先で看護婦の職に就いても、年功序列の観点から不利になる」として拒否し、あくまでの転勤に応ずるつもりはない旨答えた。

(3) 安樂は右のような本人事情は「転勤そのものが難しいと思われる特段の事情」に該当しないと判断し、原告山部を第Ⅰ期の転勤候補者に挙げ、これに基づき、被告は、平成二年八月六日、原告山部に対し、同年九月一日付けで「中央研究本部富津試験室開発試験掛」への転勤を内示した。

(4) 原告山部は、同年七月二四日、被告に対し、原告山部の代理人の連名により、転勤に同意する意思はない旨の内容証明郵便を送付した上、組合に相談した。

組合は被告に対し、平成二年八月二三日の箇所労使委員会において、転勤に応じられないとする原告山部を含む三名の組合員との話し合いの経過や人選の根拠等について質し、被告は、それぞれの本人及び家族の状況、健康状態等を総合的に勘案し、公正妥当を期して決定したが、右三名のうち二名は健康上の理由で転勤に応じがたいとのことであるので、予定の発令日を延期し、健康状態や医師の診断を踏まえて改めて判断する予定であり、「八幡製鐵所に入社したのだから年満まで八幡で働きたい」とする原告山部については、話し合いに進展が見られず、既に転勤している他の従業員の個人事情と比較しても特段の差異はないため、予定どおり九月一日付けで転勤を発令する予定である旨回答した。

組合は、同月二八日、①総合技術センターの設置とこれに伴う転勤等の人員措置は、被告を取り巻く経済情勢が大きく変化し、厳しい経営環境のもとで、経営基盤の安定強化ひいては組合員の雇用と労働条件の維持安定を図る施策として推進されたものと評価され、労使間で了解済みであること、②右人員措置の実施にあたって組合が要請した諸点について、被告はきめ細かく対応を図っていること、③今回の措置は総合技術センターでの技術技能等の必要条件及び転勤対象者の個人的事情を総合的に勘案して行われており、既に同様な事情を持ちながら転勤している組合員との比較における公平性を考慮する必要があること等の諸事情に基づき、さらに話し合いを重ねても前進はないとして、原告山部らに対する措置については被告の人事権に委ね、これ以上の支援は行わないことを決定した。

(5) 被告は、その後転勤命令を発令するまでの間、原告山部と話し合いを行ったが、原告山部は最後まで了解しなかった。

(二) 原告中野

(1) 被告が原告中野について事前に把握していた個人事情は、妻である原告中野美智子(以下「原告美智子」という。)がパートで働いていること、一男一女がいること、北九州市内に自宅を保有していること、別居被扶養家族の実母がいること等であった。

(2) 被告は、平成元年九月から平成二年四月までの間、作業長に原告中野と面談させ、転勤の必要性等を説明するとともに、原告美智子の転勤先での再就職の可能性等を含め、話し合いを重ねたが、原告中野は、実姉と同居している実母の世話、子供の仕送り等の経済的負担等を理由として「八幡に生活基盤があり、転勤には応じられない」「八幡地区の職場に配転してほしい」「個人の気持ちとして、転勤できない人のため一部を北九州に残すべきだ」「北九州の地盤沈下防止に協力するのが大企業の責任だと思う」などと述べて、転勤を拒否する意向を示した。

これに対し、被告は、転勤の必要性、人選の公正妥当性及び転勤に伴う経済的援助措置等につき繰り返し説明し、説得を続けたが、原告中野の意向は変わらなかった。

(3) 安樂は、原告中野の個人事情は「転勤そのものが難しいと思われる特段の事情」には該当しないとして第Ⅱ期の転勤候補者に挙げ、これに基づき、被告は、平成三年六月一二日、原告中野に対し、同年七月一日付けで「技術開発本部TSセンター試験室開発試験第一掛」への転勤を内示した。

(4) 原告中野は、同年六月二一日、被告に対し、原告中野の代理人の連名により、転勤に同意する意思はない旨の内容証明郵便を送付した。

原告中野から転勤の人選に納得できないとして相談を受けた八幡労組は、原告中野に対し、被告と再度話し合いをするよう指導し、被告に対し、引き続き誠意を持って対応するよう要望したのみで、原告中野への転勤内示につき、特段の申し入れを行わなかった。

(5) 被告は、その後も、作業長及び室長に原告中野との話し合いを行わせたが、原告中野は転勤を了解するには至らなかった。

12  被告における転勤援助措置

被告が、連合会と協議の上、転勤者に対して講じている援助措置は以下のとおりである。

(一) 社宅等の住居の貸与、引越業者の手配、荷物移転費用の負担、赴任手当、旅費交通費の支給等のほか、家族帯同者には三〇万円、その他の者には一九万円の特別赴任手当を支給。

(二) 持家処分に関する援助措置

(1) 持家売却費の援助

転勤者が持家の処分を希望し、転勤発令後三年以内に持家を売却した場合には、一〇万円に転勤発令から売却までの期間につき六か月毎(六か月未満は六か月とする。)に五万円を加算した金額を支給。

(2) 転勤者が持家売却のため抵当権抹消の資金を必要とする場合は、転勤発令後四年を限度として、以下の条件によりつなぎ融資を行う。

① 融資期間 売却確定時から売却完了時までの間

② 利率 年利3.4パーセント

③ 返済 売却完了時に利息と併せて一括返済

(3) 空き家の巡回等

転勤元箇所において、持家処分促進のための広報活動を実施するとともに、転勤者から特に要請がある場合には、三年間を限度として空家の巡回等について便宜を図る。

(三) 居住費等についての援助措置

(1) 持家(先行取得の土地を除く。)を売却もしくは賃貸する家族帯同の転勤者が転勤先において社宅に入居した場合、持家を処分するまでの期間につき、転勤発令後三年間を限度として、社宅料相当額を支給。

(2) 転勤者が持家(先行取得の土地を除く。)の処分、子弟の教育、家族の病気、その他の事由により、単身で赴任する場合は、転勤先において、賄い付きで格安料金の寮を貸与。

(3) 単身赴任者には、単身赴任の事由が解消されて家族を呼び寄せるまでの間、転勤発令後五年間を限度として(但し、実態に応じて右期間以上に援助を行っており、現状では限度期間を設けていないに等しい。)、単身赴任援助手当(月額二万円、平成四年から月額三万円)と二か月に一回(平成四年から三か月に二回)の一時帰宅交通費(実費)相当額を支給。

単身赴任者の家族が、発令後五年以内に新任地に移転する場合、家族の旅費及び荷物移転料を支給。

(四) 転勤先における住宅資金の特別貸付

転勤先において住宅資金の貸付を受ける場合、転勤発令後三年間を限度として(持家売却時期が、転勤発令後一年を超えた場合はさらに一年間延長し四年間)、通常の貸付限度額に一三〇万円を付加して貸付。

13  第三次中期経営計画

(一) 被告は、平成六年三月三〇日開催の中央経営審議会において、「第三次中期経営計画」について、連合会に対し、概要以下のとおり説明するとともに、右計画における人員対策について提案した。

(1) 被告は、大幅な鉄鋼需要の減少と販売価格の低下により、平成五年度の決算において、株式売却を除く実費経常損益で八五〇億円の赤字に陥ったが、平成六年度はさらに販売数量が落ち込むとともに価格面でも一段と厳しい対応を迫られる状況にあり、現状のコスト構造のもとでは、収益が巨額の赤字に陥ることは明らかであって、このまま手をこまねいていれば、数年を経ずして破綻するという事態になった。

(2) 「第三次中期経営計画」は、鉄鋼需要構造の変化に対応し、製鉄事業の製造部門及び販売部門が一体となり、被告の生き残りをかけた経営の建て直しを企図したものであり、①市場分野、品種毎の国際競争力基盤の確立と収益力の早期回復による適正利益水準の確保を目指して、三〇〇〇億円規模のコスト構造の抜本的な改革を断行し、これを基礎に販売の成果を上げ、平成八年度には健全な経営を維持するに必要な期間利益を確保できる経営体質を構築すること、②従来の経営管理や仕事の方法、思考や発想を根本的に見直し、急速な外的環境変化、市場や需要家の要請に一層機敏に対応し得る業務運営体制の再構築を図ることを基本方針として策定したものである。

(3) 収益構造の改善のうち、コスト削減計画については、外部調達コストで一〇〇〇億円程度、操業コスト等で一〇〇〇億円程度、管理間接コストを中心とする労務費や諸経費等で一〇〇〇億円程度と、あらゆる部門にわたって最大限に削減施策を進め、人員対策としては、管理間接コストの大幅な圧縮を図るため、管理職及び主務職要員については約四〇パーセント(四〇〇〇名規模)を目処に削減し、技術職社員についても一五パーセント(三〇〇〇名規模)を目処に合理化を推進することにより、製鉄事業部門において、管理職及び主務職六〇〇〇人、技術職一万四〇〇〇人の計二万人体制を実現する。

(4) 人員対策としては、雇用を確保することを大前提に、従業員の選択肢拡大を基本として具体的施策を進め、出向を機軸に従来からの施策の拡大に取り組むほか、六〇歳までの雇用の確保を前提として「関係会社勤務のために退職する者に対する援助措置」の充実を図る。

(5) 組織及び業務運営の抜本的改革としては、①経営管理体制を再構築し、経営トップの決定事項を経営基本方針、経営執行方針等に重点化する一方、事業部制を採用している領域について自立的運営を徹底し、外部環境の変化に迅速かつ的確に対応できる体制を確立するとともに、経営の意思決定に対する支援を必要最小限の体制とコストで行いうる「小さな本社」を実現するため、本社企画管理部門の組織体制を抜本的に見直し、現行一二部を七部に集約し、当該部門の要員についても半減を目指す、②販売部門と技術部門の一体化を指向した組織再編を行い、現行二五部を一六部に集約するとともに、各々の品種営業部と当該品種を製造する製鐵所との有機的な連携を図り、品種事業部的運営を目指す、③研究開発部門については、より事業活動に直結した研究開発を指向するとともに、限られた資源で最大限の成果を上げるため、事業部門毎の費用管理の徹底を図りつつ、研究開発投資の一層の効率化を促進し、併せて、品種別、工程別、要素技術別に細分化された現行の研究開発組織を統合再編するなど、簡素で機動的な体制を構築し、研究開発テーマの重点化、社外技術の活用の拡大、管理調整業務の極小化、研究所の自立的運営等により要員を削減し、設備技術部門についても、機能の統合簡素化による組織再編、被告が独自に担保すべき機能の重点化、社外技術の積極的活用、製鉄所設備部門をはじめ関連部門との一体化による技術業務の生産性向上等により、要員削減と効率化を図り、もって、研究開発及び設備技術部門の組織を現行の三四部から二四部に集約する。

(二) 被告は、右同日開催の本社箇所経営審議会及び労使委員会において、第三次中期経営計画のうち、製鉄事業中期経営計画の本社箇所に関わるものとして、研究開発及び設備技術体制の再構築と要員対策について、以下のとおり説明した。

(1) 平成三年に始まった総合技術センターを中心とする「技術開発本部」は「技術開発力こそが製造業の死命を制する」という基本思想のもと、研究開発からエンジニアリングまでを包含する新たな技術開発体制の確立を企図したものであるが、この狙いである中央研究開発機能及び設備エンジニアリング機能の統合による総合力の発揮については、既にいくつかの成果を生み出しつつあり、統合の効果を一段と大きなものとするため、試験実験と研究の協働のあり方、研究と設備技術の連携強化、試験実験業務自体の効率化等の諸課題に一層の力を注ぐべき段階にさしかかっている。一方、需給構造の激変により技術開発ニーズが大きく変容し、技術開発部門についても管理間接コストの大幅削減が必要となっており、前記基本思想を堅持しつつも、事業やマーケットに密着した成果を迅速確実に上げるための効率的な業務運営の確立を目指す必要がある。

このような認識のもとに、研究開発部門においては、①事業活動に直結した研究開発の徹底、②研究開発テーマの重点化、社外技術力の活用拡大、成果の早期具体化、画期的技術開発を促進しうる仕組みの構築等、限られた資源で最大限の成果を挙げるため、R&D(研究開発)マネジメント改革を目指す。

これらの実行により研究開発投資の効率化を促進し、併せて、現行の研究開発組織を、品種、工程対応と要素技術の共通性、関連性を考慮した研究部組織に統合再編し、研究所の自立的運営と管理調整業務の極小化によりスタッフ業務の簡素化を実現する。

設備技術部門についても、設備投資関連業務の減少に対応して要員規模を圧縮し、被告が独自に担保すべき機能の重点化、社外技術力の活用拡大、製鉄所設備部門等の関連部門と一体化した協働体制の確立と適切な業務分担により大幅な生産性向上を目指し、これに伴い、設備技術センターの組織再編成として、プラントエンジニアリング機能を中心として統合、簡素化を実施し、スタッフ機能の圧縮を図る。

(2) 要員対策としては、管理職及び主務職については四〇パーセントを目処に削減し、技術開発本部の技術職社員については、平成八年度末までに、当時の人員規模(当時、TSセンターの在籍人員は三二〇名弱であり、先端技術研究所の在籍人員は一〇〇名弱であった。)の四〇パーセント強を削減する。

(三) 被告は、平成六年四月一一日、中央経営審議会、中央団体交渉及び労使委員会において、連合会に対し、また、同月一二日、本社箇所経営審議会及び本社箇所労使委員会において、本社労働組合に対し、「第三次中期経営計画」の内容及び人員対策、本社箇所技術開発本部の技術職社員の削減の方針について、以下のとおり説明し、組合側からの質問に回答した。

(1) 研究開発及び設備技術体制の再構築を目的として、研究所及び設備技術本部を総合技術センターに統合したが、今回の研究開発、設備技術体制の抜本的見直しは、右方針を変更するものではなく、むしろ、その成果を引き続き追求しつつ、研究開発にかかるコストの見直し、研究開発テーマの重点化、設備エンジニアリングの効率向上、簡素で機動的な組織への再編を目指すものである。

(2) 特に研究開発テーマの重点化については、鉄鋼需要の構造的変化を的確に反映させ、研究開発コストの削減のため被告が独自に担保すべきものを可能な限り絞り込み、大規模開発案件に関する投資リスクの極小化やマクロ的な研究開発の効率化のため、社外技術力を活用して共同開発を指向していくこととし、研究開発全般についても投資採算性、研究開発内容、課題等を見極めながら、大学や国、自治体及び民間研究機関との連携を強化し、より効率的な研究開発、設備技術体制を構築していく。

(3) 研究者と試験実験部門が密接な連携のもとに業務を遂行している研究開発においては、試験実験業務は研究者及び研究規模の変動に大きく依存し、管理職及び主務職社員の削減により試験実験業務が大幅に縮小することとなるところ、被告として担保すべき技術を明確にした上で、職務編成の見直し、研究者自らが実験する範囲の拡大、一部業務の分社化等、試験実験業務の最効率体制の実現を目指し、技術職社員についても、管理職及び主務職社員と同レベルの削減を図る予定である。

(4) これに伴う技術職社員の人員対策は、管理職及び主務職社員と同様、出向を機軸とし、雇用確保を前提とした関係会社への転出、高齢者を対象とする長期の教育、休業措置、早期退職や転職に対する援助措置等の施策を全社的に進めていく方針であり、特に出向については、勤務地周辺のみでは自ずと限界があるため、広範な地域が対象となる。

(四) 連合会は、平成六年五月一七日開催の中央経営審議会において、被告に対し、「第三次中期経営計画」及び「第三次中期経営計画における人員対策」について、将来にわたって安定した雇用と生活を確保していくために、右計画の推進が必要不可欠との結論に至ったとして、これを了解する旨表明した。

また、本社労組は、右同日の本社箇所経営審議会及び労使委員会において、技術開発本部としてスタートした後わずか三年で大幅な人員削減を含む第三次中期経営計画を実施せざるを得ないことは、技術開発本部の立ち上げに懸命に取り組んできた職場組合員の立場からは誠に残念であるけれども、存亡の岐路に立たされている経営実態、研究開発及び技術開発においても最大限の成果を上げうる体制が一層強く求められている状況に鑑み、やむを得ない措置として受け止めざるを得ないとして、「第三次中期経営計画」及びこれに伴う人員措置を了解する旨表明した。

二  当事者の主張

原告らの主張

1  労働契約違反による無効

原告山部及び原告中野は、旧八幡製鐵株式会社と労働契約を締結する際、原告らの勤務場所を、福岡県八幡市及び戸畑市(現北九州市八幡西区、八幡東区及び戸畑区)に所在する八幡製鐵所に限定する旨合意した。

したがって、原告らの個別的同意のない本件転勤命令は、右労働契約に反し、無効である。

2  労使慣行違反による無効

被告の労働協約及び就業規則には、転勤を命ずることができる旨の規定があるが、右各規定は極めて包括的なものであるから、これに無限定の効力を認めることは妥当でなく、被告の転勤命令権は、当該労働契約締結の経緯、当該労働者が入社した後の勤務の実情、従来の慣行等諸般の事情に基づき、一定の限界が画されるべきである。

被告の職制上、大学卒業者を中心として本社で採用される主務職社員と中学及び高校卒業者で現地で採用される技術職社員とが明確に区別されており、技術職社員については、日常的なローテーション人事は予定されておらず、事業所別採用、職場内昇進を原則とし、勤務場所についても、当該事業所ないし勤務可能な範囲に限定されるのが慣例であって、原告らが入社した当時、技術職社員の転勤実績は、技術職社員全体の比率からすれば極めて少なく、技術職社員が個別的な同意なしに通勤可能な範囲を超えて転勤を命ぜられた実績も慣行も存在しないのであるから、本件各転勤命令は転勤命令権の範囲を超えており、無効である。

3  本件配転の業務上の必要性について(権利濫用)

(1) 研究所が分散立地していた当時も、担当の研究内容からすると他の研究所に勤務した方が便利だと思われる研究者は、当該研究所に分室を作って、これに勤務することにより、他の技術研究所に所属する研究者との連携交流も図られていたし、また、製鉄業は装置産業であるから、製造現場である製鉄所との関連が重要であって、研究所の統合により研究者の出張が不要となることはないのであるから、技術研究所を統合する合理性も業務上の必要性もなかった。

(2) 研究所を統合するにしても、被告は北九州に広大な土地を所有しており、八幡製鐵所は、君津製鐵所と比して遜色のない総合製鉄所であり、君津製鐵所よりも歴史が古く、研究開発に関する技術やノウハウが下請け関連企業まで含めて多く蓄積され、福利厚生施設等も充実している上、情報伝達の発達した現在、首都圏立地に拘泥する必要はなく、富津は塩害がひどく、半導体をはじめとする新素材の研究には適さないなど、北九州の方が総合技術センターを設置するのに適しており、これを富津市に設置する合理性はなかった。

(3) 技術職社員の職務は、研究者の補助にすぎず、数か月もあれば習得できるものであるから、旧第三技術研究所から技術職社員全員を転勤させなくても、技術の継承のために必要な技術職社員で転勤可能な者を転勤させ、不足分は君津製鐵所の技術職社員から補充する方法が取り得たはずであるし、本件転勤命令後、総合技術センターの技術職社員の大幅削減を内容とする被告の第三次中期経営計画の実施により、一八二名いた旧第三技術研究所からの転勤者のうち平成一〇年二月当時に現地にとどまっているのはわずか五二名となったにもかかわらず、技術開発本部は順調に稼働しているのであるから、一八二名もの技術職社員を転勤させる必要はなかった。

(4) 原告らが総合技術センターにおいて従事した試験実験は、転勤後初めて担当したものも多く、右業務はいずれも一か月もすれば覚えられる内容のものであるから、原告らを転勤させる必要はなかった。

原告山部は、昭和六一年七月から昭和六二年一二月までの間、応援措置として八幡技術研究部の業務に従事しており、八幡技術研究部へ配転する方が適切であった。

原告中野は、八幡技術研究部に移管された押込穿孔圧延機(PRP)及び偏肉矯正圧延機(ELM)を使用した業務に約八年間従事しており、これらの装置は、平成三年七月一日に八幡技術研究部へ移管されたのであるから、原告中野の技術、技能、経験を活かすためには、原告中野を八幡技術研究部に配転した方が適切であった。

4  不当な動機ないし目的の存在について(権利濫用)

本件転勤命令は他の不当な動機ないし目的に基づくものであって、権利濫用であり無効である。

すなわち、第三技術研究所試験室製銑試験系列においては、在籍者三八名中、転勤前に四人、転勤後に五人が、同熱・エネルギー系列においては、在籍者三三名中、転勤前に一名、転勤後に一名が、同加工プロセス作業系列においては、在籍者二七名中、転勤前に二名、転勤後に一名が、それぞれ自己都合退職し、第三技術研究所全体では、転勤者一八二名中、一八名が転勤後に自己都合退職しており、このように大量の自己都合退職者が生じたのは、本件転勤命令が労働者において通常甘受すべき程度を超えていたためであって、本件転勤命令は、実態としては、技術職社員の一部を早期退職させる目的で行われたものである。

5  原告らの不利益について(権利濫用)

本件転勤命令は、もともとローテーション人事による転勤が予定されない者を、定年退職までに再転勤の見込みがないまま、片道九時間もかかる遠方の勤務地へ転勤させるものであり、労働者の家庭を破壊し、人間としての生活権を侵害するものであって、人事権の濫用にあたる。

本件転勤命令当時、原告山部の二人の子供は大学受験浪人生と高校二年生であって北九州を離れられず、また、妻は昭和三九年から九州厚生年金病院において看護婦として働いており、その収入(本件転勤命令時の給与は手取り約二五万円であった。)で原告山部の収入だけでは不足する住宅ローン(月額七万五〇〇〇円)や子供の学費等を補う必要があったため、原告山部は単身赴任せざるを得なかった。

原告中野は、本件転勤命令当時、姉と同居中の七六歳の母親を扶養し、原告中野の妻である原告美智子は、北九州市内に居住し、ともに病弱で入退院を繰り返していた自己の両親を看病する必要があった上、原告中野の収入だけでは不足する家のローン、子供の学費、母親への仕送り等の費用を補う必要から、保険の外交員として働いており、また、原告中野の長女は高校三年生で受験を控えていて転校することができなかったため、原告中野は単身赴任せざるを得なかった。

6  原告美智子に対する不法行為被告は、原告中野が前記の事情により単身赴任を余儀なくさせられることを認識しつつ本件転勤命令を発令し、もって、原告美智子の幸福を追求する権利(憲法一三条)及び夫と同居する権利(民法七五二条)を侵害した。

原告美智子は、生活のもっとも重要な基盤である家庭を奪われ、また、家事全般について原告中野の協力を得ることができなくなり、また、従前原告中野が行っていた外壁の塗装、床下のシロアリ防除等もできなくなったため、経済的負担が大きくなるなど、原告中野の不在により大きな精神的、経済的打撃を被った。これによる慰謝料は三〇〇万円を下らない。

被告の主張

1  勤務地を限定する合意ないし労使慣行について

旧八幡製鐵の就業規則には、業務上の都合により転勤を命ずることがある旨明示されており、原告山部及び原告中野は、右就業規則を遵守する旨の誓約書を提出し、また、右就業規則について周知教育を受け、当時存在していた光製鐵所あるいは建設途上にあった堺製鐵所等、北九州以外の勤務地への転勤があり得ることを当然認識していたのであるから、同原告らの勤務地を八幡または戸畑に限定し、もしくは、転勤につき本人の同意を必要とするとの労働契約上の合意があった旨の主張は根拠がない。

被告の労働協約においては、大量転勤等の場合には、労使間で所定の手続を経ることを条件として、業務上の必要により転勤命令を発し得る旨を定めており、実際の運用上も、業務上の必要に基づく技術職社員の配転は日常的に行われており、本人の同意がなければ転勤命令を発しないという労使慣行は存在しない。

2  本件配転の業務上の必要性について(権利濫用)

被告は、本件転勤命令の当時、経営環境の変化に対応すべく複合的経営戦略を進めており、高度化、多様化する社会のニーズの変化に即応できる研究開発体制を確立するため、従前地理的に分散していた研究所等を統合し、総合技術センターを設置することとしたのであり、その設置場所の選定も極めて高度な業務上の必要性に基づくものである。

また、総合技術センターは、従前の各研究所等の機能を全面的に移転し、統合するものであるから、旧技術研究所の人員は余剰人員となるところ、八幡製鐵所内で余剰人員を吸収できる状況にはなく、また、試験実験に関する技術と技能の継承に万全を期し、移転統合後速やかに総合技術センターの機能を発揮させるため、転勤が著しく困難な特段の事情を有する者等を除き、研究部門及び設備技術部門に在籍し、実務経験を有する技術職社員全員を転勤させる必要があった。

被告は、現場作業、試験実験作業に従事する技術職社員の長年の職務経験を経て培われてきた技能と経験を活かしていくことが必要かつ適切であるとの判断のもとに人選を行ったのであり、いずれも主担当(一般またはA分類の職務を優秀に遂行するに必要な経験と能力を有する者)の資格を有していた原告山部及び原告中野の転勤は、業務上の必要性に基づくものであった。

3  原告山部及び原告中野の不利益について(権利濫用)

被告は、連合会と協議の上、転勤援助措置を取っており、転勤者の負担は相当程度軽減されているし、原告山部及び原告中野が本件転勤命令によって受ける不利益は労働者が通常甘受すべき範囲内にある。

4  原告美智子の請求について

原告中野及び原告美智子が、本件転勤命令により家族生活を含む諸々の不利益を受けたとしても、右不利益は通常甘受すべき程度を著しく超えるものではなく、同原告らは自らの都合により単身赴任の方途を選択したのであるから、本件転勤命令は不法行為にはあたらない。

第三  判断

一  労働契約違反を理由とする転勤命令無効の主張について

1 前認定のとおり、原告らが入社した当時の旧八幡製鐵の就業規則には「業務上の都合によって転勤させまたは職場もしくは職種を変更することがある」旨の規定があるところ、証拠(甲五、乙一及び二の各1、2、乙四及び五の各1の1、2、四七、四八、六〇、六七の1、2、原告中野、原告山部)によれば、原告山部及び原告中野は、臨時作業員として旧八幡製鐵に入社した際、右就業規則を印刷物として配布され、新入臨時作業職員の導入教育において、約六時間をかけて説明を受け、右採用時及び二か月を経て作業職社員として採用された際の二度にわたり、就業規則等を遵守する旨を記載した誓約書及び身元引受書を提出したこと、その後、就業規則は数次にわたり改正されたものの、本件転勤命令が発令された当時を含め、いずれも前記と同趣旨の規定をおいていることが認められ、右事実に加え、前認定のとおり被告と連合会との間の労働協約にも同旨の規定があること、旧八幡製鐵は全国規模の企業であって、その労務管理のあり方からすれば、就業規則等に転勤規定が存在するにもかかわらず、これを個別に解除して勤務地を限定した労働契約を締結するとは考え難いことに照らし、原告山部及び原告中野と被告との労働契約関係は、被告に人事権の行使としての転勤命令権を認めた右就業規則によって規律されていると認められ、右就業規則の転勤命令権に関する規定の適用を排除し、勤務地を限定する合意が成立した旨の原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。

2  原告らは、転勤命令権に関する就業規則及び労働協約の定めの具体的な適用にあたっては、個別労働契約締結の経緯、当該労働者の勤務の実情、従来の慣行等諸般の事情を勘案して、限界が画されるべきであるとし、原告山部及び原告中野が入社した当時、技術職社員については事業所別採用、職場内昇進が原則であり、八幡製鐵所から他の製鐵所への転勤は極めて例外的であって、原則として本人の同意がある場合に限られていた旨主張する。

前認定のとおり、被告の従業員は、従前、主務職社員と技術職社員とに大別されており、両者は人事調査票の記載項目や労働協約に規定された労使委員会の付議事項等において、異なった取り扱いがなされていたものの、就業規則上は何ら区別されておらず、証拠(甲四、五、乙五六、六一、六七の1、六八の1ないし3、八四及び八五の各1、2)によれば、原告らが入社した昭和三五、六年当時、既に光製鐵所(昭和三〇年より稼働)が稼働し、堺製鐵所(昭和三六年より稼働)も建設途上にあり、昭和三七年ころには、君津製鐵所の建設も計画されていたこと、昭和二九年度以降昭和三六年度末までの間、八幡製鐵所から、光製鐵所へ約九〇名、堺製鐵所へ約一八〇名の技術職社員の転勤実績があり、昭和三六年度以降昭和四四年度末までは、光製鐵所へ約九〇〇名、堺製鐵所へ約二〇七〇名、君津製鐵所へ約二六〇〇名、昭和四五年度以降昭和五三年までは、君津製鐵所へ八〇〇名、大分製鐵所へ約六四〇名その他各製鐵所等を含め、合計二二五〇名が転勤していること、旧八幡製鐵と旧八幡製鐵労働組合との間の労働協約においても、大量転勤については「生産計画に伴う重要な要因事項」として労使間の協議事項とされ、昭和三五、六年当時、光製鐵所への転勤及び堺、名古屋、木更津(現君津)の各製鐵所の建設に伴う転勤につき、労使交渉が行われた上、転勤が実施されていたこと、「八幡製鐵所八十年史」には、八幡製鐵所が光、堺、君津の新製鐵所への兵站基地機能を有していた旨の記載があること、八幡労組が昭和四五年一〇月に発行した機関誌「熱風」には、他所への転勤についての組合の基本的な態度として、「会社の人事権の乱用、不利益扱いのないように、本人の事情や意志考慮を尊重させていく。しかし、感覚的にただ行きたくないという理由や、条件が変われば行く、また行けない事情がある等個人によってケースが異なっているため、ケースによって対処していく」旨の本部見解が示され、その後も、組合は転勤人選につき本人事情等を斟酌することを要請しているものの、本人の同意が必要であるとの立場には立っていないこと、昭和四五年に発令された君津製鐵所への転勤命令の効力を争い、訴えを提起したケースが存在することが認められる。

右事実によれば、技術職社員につき、日常的ないわゆるローテーション人事は予定されていなかったとしても、他勤務地への転勤が例外的なものであったとは認められず、本人の同意なしに転勤させられることはないという慣行が確立していたとも認められないから、原告らの前記主張は根拠がない。

なお、原告らは、被告が平成一〇年夏ころの新聞広告による中途採用の社員募集にあたり、勤務地を「八幡製鐵所」と特定して表示していることを指摘し、被告は現に勤務地を限定した採用を行っていると主張するが、原告山部及び原告中野は、右と同様の新聞広告に応じて旧八幡製鐵に入社したのではないし、証拠上、右新聞広告の応募者に対する採用面接時や採用決定時にどのような説明や条件提示が行われ、最終的にいかなる内容の労働契約が締結されるのかは不明であるから、右新聞広告をしたことをもって、被告が転勤命令権を定めた就業規則等の適用を排除して勤務地を限定する労働契約を締結している事実があることを認めるには不十分であり、仮に右事実が認められるとしても、被告と原告山部及び原告中野との労働契約に勤務地を限定する約定があったこと、もしくは、八幡製鐵所勤務として被告に採用された従業員(技術職社員)につき、一般的に、本人の同意がない限り転勤させない旨の慣行が成立していたことを認めるには足りない。

3  以上のとおり、本件転勤命令発令当時、被告は、労働契約に基づき、原告山部及び原告中野に対し、個別の同意がなくても、勤務場所を変更する転勤命令を発し、変更後の勤務場所における労務提供を求める権利を有していたと認められる。

二  転勤命令権の濫用の主張について

使用者の転勤命令権の行使は、転勤につき業務上の必要性がない場合、業務上の必要性がある場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機ないし目的をもってなされたものであるとき、もしくは、労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情がある場合には、権利の濫用として無効となると解される。

1  業務上の必要性について

(一) 総合技術センター設置に関する被告の経営判断の合理性について

(1) 前認定のとおり、被告は、旧八幡製鐵及び旧富士製鐵から研究施設を引き継ぎ、三研究所体制で研究開発を進めてきたが、経営環境の悪化に伴い、研究開発部門の役割が高度化、多様化する中で、各研究所相互間の連携を密接にするため、昭和五六年六月、各研究所が別個独立して行っていた運営管理を中央研究本部において一括して行うこととした上、昭和五八年六月、従前、基礎、製品、生産の機能別に分担していた各研究所の所管事項を製品工程別に基礎から実用化まで一貫して研究開発できるように大規模な組織改正を行い、第一技術研究所において、鉄鋼材料及び鉄鋼の製造技術の基礎研究、新素材関連の製造法、新製品の開発研究を、第二技術研究所において、鉄鋼製品の加工及び利用技術に関する研究、鉄鋼の新用途及びこれに適した新製品の開発研究等の製品技術研究を、第三技術研究所において、鉄鋼製造の新技術に関する研究、新設備の開発及び工業化研究、新プロセスによる製品開発等の生産技術研究を行うものとしたが、なお、各研究所が所管する要素技術間の協働が必要な研究開発については、各研究所に所属する研究者間の連携や業務効率の点で研究所の分散立地が障害となっており、各研究所の研究成果に基づいて生産設備の設計等を担当する設備技術部門も地理的に分散していたため、研究開発機能と設備技術開発機能の連携においても問題を抱えていた。

また、総合技術センター構想が策定された昭和六〇年ころ、我が国の経済は安定成長期に移行し、長期的な鉄鋼需要の伸びを期待できない状況にあり、韓国や台湾等の中進国の鉄鋼業が低コストと設備能力の増強を背景に輸出市場に進出し、また、国内電炉メーカーとの競合も激しくなっていたため、鉄製品のうち汎用品を中心に市場競争が激化しており、鉄鋼大手各社は、産業社会の多様化、高級化するニーズに対応する付加価値の高い新商品の開発を協力に押し進める必要に迫られていた(乙一四)。

昭和六二年ころ、通産省の諮問機関である基礎素材産業懇談会は、我が国の鉄鋼業の中長期的展望として、特殊鋼や表面処理鋼板等の高級鋼を中心としたプロダクトミックスの高度化を図るとともにファイン・スティール化を追求し、生産コストの削減を図りつつ、生産プロセスの柔軟性を向上させることが必要であり、また、技術開発力を活かし、従来の鉄鋼業という枠を越え、新金属材料、ファインセラミックス、複合材料等需要の大幅な拡大が見込まれる新素材分野を含めた高度化、総合化された新たな素材産業として発展することが期待されている旨の中間答申を行った(乙一三)。

右事実によれば、被告は、当時、鉄分野における新商品の研究開発及び新素材分野における技術開発等、広範な要素技術間の協働を必要とする大型の研究テーマに取り組む必要に迫られ、かつ、競争力強化のため、製品の生産コストの低減を図る必要があったことが認められ、したがって、研究開発機関相互間の密接な連携を図るとともに、各研究所に重複配置されていた同種類似の研究実験機器を削減し、人員を合理化するなどして研究開発の効率化を図るため、各研究部門と設備技術部門を統合し、総合技術センターを設置することとした被告の経営判断には十分合理性があったと認められる。

(2) 技術課題が大型化、複合化した研究テーマの技術開発とその実用化にあたっては、基礎研究ないし応用研究、プロセス研究及び設備エンジニアリング等、各技術部門における要素技術を組み合わせ、融合する必要があり、このため、研究段階から研究者と設備エンジニアとが一体となって研究開発を行い、各要素技術の研究者及び設備エンジニアが相互に連携することが重要となると考えられるところ、電話やファクシミリを通じての意思疎通には限界があり、また、複数の研究者の出張日程等を調整する必要から研究開発スケジュールに遅れが生ずるなど、研究所の分散立地は研究開発を進める上で障害となっていたことが推認され、また、研究開発の過程で生じたトラブルに迅速に対応するため、各研究者及び設備エンジニアが同じ場所に勤務しているのが望ましいことは明らかである。

したがって、分散していた研究所を総合する必要性はなかった旨の原告らの主張は理由がない。

(3) 原告らは、被告が鉄分野の研究開発と新規事業分野の研究開発を一体化した総合的な研究体制を確立すべく総合技術センターを設置するとしながら、新分野の研究開発を行う先端技術研究所の統合が延期されたことを根拠として、研究機関統合の必要性を争う。

しかし、前認定のとおり、被告が昭和六〇年二月に総合技術センター設置の基本構想を発表してから具体的な実施計画を策定するまでの間に、急激な円高に伴う国際競争力の低下等の経済情勢の変動があり、このため国内の粗鋼生産数量は大幅に減退し、我が国の鉄鋼業界の経営環境は著しく悪化し、高炉大手六社はいずれも高炉の休止、要員の大幅な合理化等の必要に迫られ、被告も、昭和六二年二月、高炉一二基のうち戸畑四高炉を含む五基の休止と約一万九〇〇〇人の要員削減を含む中期総合計画を策定せざるを得ない状況にあり、総合技術センター設置当時、被告には、鉄研究と新規事業研究を併せて移転する資金的余裕がなかったため、やむなく事業別売上比率の約八五パーセントを占めていた鉄部門に関する研究機能を先行して移転することとし、先端技術研究所の建設用地を総合技術センターの敷地内に確保しつつ、同研究所の移転を延期する旨決定したものであり、被告は、平成一〇年四月、遅延したとはいえ、先端技術研究所を統合する旨決定したことに照らしても、同研究所の統合が延期されたことを研究機関統合の必要性を否定する根拠とすることはできない。

(二) 総合技術センターを富津に設置することの必要性について

(1) 事業用施設の設置場所の選定は企業の経営判断事項に属するところ、被告が総合技術センターの立地として富津市を選定したのは、同市が首都圏に所在し、大きな発展可能性を持つ地域であること、多品種を揃えた総合製鉄所である君津製鐵所に近接しており、製造部門との密接な技術提携が可能であること、現在の福利厚生施設が利用でき、今後の拡充整備が可能な後背地を有していること等の諸条件を総合的に勘案した結果であることは前認定のとおりである。

(2) 原告らは、現代社会においては情報の流通が発達しており、フェイス・トゥ・フェイスでの情報交換の必要性は高くないから、首都圏立地に拘泥する必要はなく、また、八幡製鐵所は古い歴史を持つ総合製鉄所であり、協力会社が多く、福利厚生施設の観点からも北九州市の方が総合技術センターの立地に適していたとして、総合技術センターを富津に設置する必要性はなかったと主張する。

しかし、首都圏は、企業の本社、官庁、研究所、大学のほか、被告の研究開発に関連する各種学会、協会や需要家等が集中し、学会、各種国際会議、展示会等の開催等が多く、学術、技術の交流、情報収集、情報の即時性等において地方よりも有利な面があることは否定できず、証拠(甲五三、五四、乙一〇、一五、五三、証人中村碵、同加藤忠一)によれば、総合技術センター基本構想策定当時、千葉県は、「千葉新産業三角構想」を発表し、基幹プロジェクトである「幕張新都心構想」、「成田国際空港都市構想」に加え、民間の研究所を中心にエレクトロニクス、新素材、バイオテクノロジーに代表される先端技術産業の国際的水準の研究開発拠点である「かずさアカデミアパーク」を開発造成する計画であり、研究者や家族等の都市的サービスは木更津市、君津市、富津市及び袖ケ浦市の市街地を整備拡充して提供する予定であったこと、東京湾横断道路及び東関東自動車道という基幹的な交通アクセスの建設が進められていたことが認められ、右事実によれば、被告が、首都圏にあって、今後後背地のインフラが拡充強化されていく見込みが高かった千葉県富津布に総合技術センターを設置するのが適当と判断したことについては相応の合理性があったと認められる(なお、右「かずさアカデミアパーク」構想が今もって具体化されていないことは、結果論としてはともかく、当時における被告の経営判断に合理性があったことを否定する根拠とはなし得ない。)。

(三) 総合技術センターに伴う人員措置の必要性について

(1) 証拠(乙七三、証人加藤忠一、同対馬忠明)によれば、被告は、分散していた各技術研究所の機能を移転統合して総合技術センターを設置するに際し、各技術研究所を廃止することを決定し、このため、各技術研究所に所属する従業員のほぼ全員を総合技術センターに配転する必要があったこと、各技術研究所に設置されていた試験実験設備はいったん分解され、梱包の上輸送され、総合技術センターにおいて組み立てられて設置される予定であったため、試験実験設備を再設置して試験実験作業を再開し、もって総合技術センターを早期かつ円滑に立ち上げるためには、移設する設備を使用して試験実験を行っていた技術職社員の技能と経験を利用して各設備の移設前の機能や精度等を再確認する必要があったこと、被告は、総合技術センターの設置に伴い、研究者から依頼される試験実験を実施するための独立した組織としてTSセンターを設置し、もって、技術職社員の裁量や自ら責任を持って管理する研究設備の範囲を広げたものであり、右TSセンターの機能を十全に発揮し、試験実験に携わる技術職社員の技能、技術を活かす上で、試験実験に熟練した技術職社員を配置する必要があったこと、研究開発においては、研究者から指示された条件下において得られる実験データのみならず、実験中に生起する様々な現象が重要な意味を持つため、実験中に生じる特異な現象を見逃さないという、長年の経験に裏付けられた高い観察力が要求され、また、試験実験の中には、試験結果自体が技術職社員の技能と技術に左右されるものがあり、そのような能力、技能及び技術をそなえた技術職社員を短期間に育成することは困難であること、研究所において試験実験に携わる技術職社員の作業は、研究者と密接に連携し、研究者が示す条件に合わせて試験実験を行い、実験中に生じる現象を観察して研究者に報告することが中心となるのに対し、工場等において生産活動に携わる技術職社員の作業は、生産性と製品の品質を確保するため、決められた温度や圧延荷重等を保ちつつ、正確にハンドル操作をすることが中心となるのであって、両者の仕事は質的に異なっており、容易に代替できないこと、八幡製鐵所は、平成二年度末時点において、約二二〇〇名の余剰人員を抱えており、その雇用を確保するため、近隣地域への出向措置や社外派遣等を積極的に進めていたことが認められ、右事実に照らし、被告が各技術研究所に所属していた技術職社員全員を転勤の対象としたことには相応の合理性があったと認められる。

(2) 原告らは、旧第三技術研究所から総合技術センターに転勤した一八二名のうち、平成一〇年二月当時、総合技術センターに留まっているのは五二名のみであることを指摘し、第三次中期経営計画により技術開発本部に所属する技術職社員の四〇パーセントを削減するくらいであれば、そもそも原告山部及び原告中野を含む大量の技術職社員の転勤は必要なかったと主張する。

しかし、前認定のとおり、第三次中期経営計画における人員対策は、技術開発本部が発足し、総合技術センターヘの配転が完了した後に、被告の経営環境が悪化したため、平成五年三月ころから検討が開始されたものであり、同計画の一環として、技術開発部門については、研究開発テーマを事業活動に直結する事項に重点化することによる試験実験業務の縮小、社外技術力の活用拡大による一部業務の分社化等を中心とするいわゆる研究開発マネジメント改革の実施により、研究開発投資の効率化の促進、研究開発組織の自立的運営と管理調整業務の縮小、スタッフ業務の大幅な簡素化が図られ、設備技術部門については、設備投資関連業務の減少に対応した要員規模の圧縮、被告が独自に担保すべき機能の重点化と社外技術力の活用拡大、関連部門との協働体制の確立等による生産性の向上が目標とされ、これにより、技術開発本部における技術職社員の四〇パーセント削減が可能となったこと、証拠(甲六一ないし六五、原告山部)によれば、旧第三技術研究所から総合技術センターヘ配転された人員のうち出向により離籍した人員のほとんどは、第三次中期経営計画の実施によって合理化された人員であり、その後に総合技術センターに新たに配置された人員は、技能の継承を円滑に行い、世代交代を図るために配置された新規採用者が中心であることが認められる。

右事実に照らし、第三次中期経営計画の実施により技術開発本部に所属する技術職社員の四〇パーセントが削減されたにもかかわらず、総合技術センターの研究開発体制が維持されていることは、総合技術センターヘの技術職社員の転勤が不要であったことの根拠にはならないと認められる。

(四) 原告山部及び原告中野の総合技術センターヘの転勤の必要性について

(1) 労働者を配置転換し、他勤務地に転勤させる業務上の必要性については、当該転勤先への異動が余人をもって容易に替え難いという高度の必要性がある場合に限定されず、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与すると認められる限り、業務上の必要性の存在は肯定されると解される。

(2) 前掲各証拠によれば、被告は、総合技術センターの設置に伴う人員措置につき、重複設備の削減、老朽設備の新鋭化、同種同機能の設備の集約配置等により必要人員を絞り込み、当時各技術研究所に所属していた技術職社員のうち必要最小限の人員を総合技術センターに配置することを基本方針とし、中央技術本部関係の必要人員を三六〇名としたこと、総合技術センターにおける作業系列を構成する職場単位で技術及び技能を継承する観点に立って配置人員を割り振った結果に基づき、右のうち二〇〇名程度を第三技術研究所から配転することとし、また、当時第三技術研究所が保有していた機能の一部を八幡技術研究部に移管するのに伴い、第三技術研究所から八幡技術研究部への人員措置をすることとし、さらに、第三技術研究所に設置されていた大型熱間圧延機の移転延期に伴う東田試験掛の設置により、東田試験掛への一五名程度の人員措置が必要となったこと、被告は、平成元年八月当時、第三技術研究所に在籍していた二八二名のうち、他社に出向していた者及び平成二年度末までに定年退職する者を除く二三一名を転勤対象者とした上、転勤が困難な特段の事情を有する者については、優先的に八幡技術研究部や東田試験掛に配置することとし、その結果、第三技術研究所から総合技術センターヘの転勤予定者は最終的に一六六名となり、当初の予定人員を下回ったため、平成三年一〇月から平成四年度末までの一年六か月間、各箇所技術研究部から応援措置を行うこととしたことが認められる。また、総合技術センターを早期かつ円滑に立ち上げ、かつ、TSセンターの機能を発揮させるため、試験実験に熟練した技術職社員を配置する必要があったところ、原告山部及び原告中野はいずれも、昭和三七年以降、被告の全社レベルの研究開発を担当する組織に所属し、長年にわたり試験実験作業に従事してきた者であって、主担当の資格を有していたことは前記のとおりである。

右事実によれば、本件転勤命令は、被告における労働力の適正配置、業務運営の合理化及び円滑化を目指す方策の一環として行われたものであり、業務上の必要性があったと認められる。

(3) 原告山部は、昭和六一年から昭和六二年にかけての通算九か月間八幡技術研究部へ応援に行っており、同研究部の経験が豊富であったのであるから、同原告を配転するとすれば、八幡技術研究部へ配転するのが合理的であった旨主張する。

しかし、同原告の八幡技術研究部への配転は、従前応援措置で対応していたスチール缶のイメージオープンに関する研究が長期継続化する見通しとなったため、昭和六二年一〇月及び昭和六三年一月にそれぞれ発令されたものであり、総合技術センターの設立とはまったく別個に行われた人員措置であるから、これにより原告山部を総合技術センターヘ転勤させる必要性及び合理性についての判断が左右されるものではない。

(4) 原告中野は、本件転勤命令前、通算七、八年にわたり、押込穿孔圧延機(PRP)及び偏肉矯正圧延機(ELM)を使用する作業に従事していたのであるから、右各設備を第三技術研究所から八幡技術研究部へ移管するのに伴い、同原告は八幡技術研究部へ配転されるべきであった旨主張する。

前認定のとおり、右機能移管に伴う人員措置については、八幡技術研究部の状況や移管設備に関する技術、技能の継承の目的を踏まえつつ、総合技術センターヘの配転が著しく困難な特段の事情を有する者の優先配置を考慮してなされたと認められるところ、八幡技術研究部に配転された者はいずれも本人の特殊な疾病や同居の家族の日常的な介護の必要性といった個人事情を抱えた者であったのに対し、原告中野には右に比するほどの個人事情はなかったと認められ、したがって、被告の人選には合理性があったと認められる。

2  不当な動機ないし目的の有無について

原告らは、本件転勤命令の前後を通じて、旧第三技術研究所に所属していた技術職社員の約二割が自己都合退職した事実に基づき、被告は余剰人員の削減を意図して本件転勤命令を含む人員措置を行った旨主張するが、本件転勤命令が被告の業務上の必要性に基づいて行われたことは前記のとおりであり、被告は、八幡技術研究部及びTSセンター東田試験掛の設置に伴う人員措置により旧第三技術研究所に所属していた技術職社員のうち四八名が転勤命令の対象から外れた結果、総合技術センターヘの転勤者数が予定人員を下回ったため、各箇所技術研究部からの応援措置をとってまで総合技術センターの予定人員を充足したことからすると、総合技術センターヘの人員措置が遠隔地への転勤という不利益を課すことにより自己都合退職を暗に慫慂する目的で行われたとは解されず、右八幡技術研究部及びTSセンター東田試験掛への転勤者につき、北九州地区に残置される試験実験等に必要な技術と技能の継承に必要な基幹要員若干名、転勤が困難な特段の事情を有する者及び八幡製鐵所の運動部に所属する者を優先した被告の人選には合理性があり、意図的な選別が行われた形跡はなく、被告は転勤者に対する転勤援助措置を講じ、中期総合計画及び第三次中期経営計画においても、余剰人員について雇用の場を確保するための方策を講じていることに照らし、被告が余剰人員の削減を意図して本件転勤命令を含む人員措置を実施したと疑うべき理由はなく、その他これを認めるに足りる証拠はない。

3  原告らの不利益について

(一) 原告中野について

証拠(甲二五の1、六七、六八の9、七七ないし七九、乙三八、三九、四九、証人対馬忠明、同安樂勇、原告中野雅治、同中野美智子)及び弁論の全趣旨によれば、原告中野は、本件転勤命令発令当時、妻である原告美智子及び専門学校への進学を考慮中の高校三年生の長女と同居しており、高校中退後、大検を目指して勉強中の当時二一歳の長男とは別居中であったこと(長男は、平成三年末ころ、埼玉県大宮市内の高校に再入学した。)、原告美智子は、結婚後も概ね働いて収入を得ており、平成二年二月一日からは日本生命小倉支社若松営業部に保険外交員として勤務していたこと、大正四年生まれの原告中野の実母は、原告中野の次姉と同居しており、原告中野は、昭和三五年以来、実母に対し、毎月一万円から二万円の経済的援助を続けてきたこと、原告美智子の両親も高齢であり、原告美智子の弟二人と同居していたが、病弱でそれぞれ入退院を繰り返していたこと(原告美智子の実父は平成七年一月二三日に死去した。)、原告中野の本件転勤命令発令当時の給与月額は二九万八三一五円であったこと、原告中野と原告美智子は、昭和五一年に北九州市内に居宅を新築し、その住宅ローンの支払が残っていたこと、被告は、原告中野を説得するに際し、転勤先における原告美智子の就職先の斡旋を申し出たほか、社員の転勤に当たり、社宅や寮等の住居の貸与、荷物の移転費用、赴任手当や旅費交通費等の支給等の措置を講じており、単身赴任者に対しては、一九万円の特別赴任手当、単身赴任援助手当(当初は月額二万円、平成四年度から月額三万円)、一時帰宅交通費(当初は二か月に一回の実費相当額、平成四年度から三か月に二回の実費相当額)を支給していたこと、原告中野が居住する君津寮の寮費は光熱費等の個人負担分も含めて月額五三〇〇円(現在は八九〇〇円)程度であり、朝食は二二〇円程度、夕食は四四〇円程度で提供されていたこと、被告は、本件転勤命令発令後、単身赴任者の年齢や健康等に配慮し、ナースコール、エアコン、二名共用のシャワー、キッチン等の設備が整った単身赴任者専用寮を新たに設置したことがそれぞれ認められる。

右事実によれば、原告中野は、子供の教育、原告美智子の勤務及び両親の介護等の必要から単身赴任の途を選択し、その結果、それなりの経済的、精神的負担を負うに至ったと認められるが、被告の転勤援助措置により、経済的負担は相当程度軽減されており、また、本件転勤命令当時、同原告らの実親はそれぞれ同原告らの兄弟と同居し、介護等につき兄弟らの協力を得られる状況にあり、原告美智子は保険外交員の仕事に就いて日が浅く、転勤先での新たな就職は十分可能であり、被告も就職の斡旋を申し出ていたのであるし、原告中野の転勤後、子供の教育に手がかからなくなり、単身赴任を解消する余地があったと認められることに照らし、原告中野の単身赴任の選択及び継続は、同原告らの意思に基づく決定ということができ、また、旧第三技術研究所から総合技術センターに転勤した者の中には、原告中野と同様の単身赴任者が多数いることを合わせ考えると、本件転勤により原告中野が受ける経済的、精神的不利益は、社会通念上、労働者において甘受すべき不利益の程度を著しく超えているとは認められない。

(二) 原告山部について

証拠(甲六五、証人安樂勇、原告山部英毅)によれば、原告山部は、本件転勤命令発令当時、妻と大学浪人中の長男、高校二年生の二男と同居し、持家のローン返済を抱えており、原告山部の妻は約三〇年にわたり看護婦として九州厚生年金病院に勤めていたこと、被告は転勤先において原告山部の妻が勤務できる病院を紹介することを申し出たが、原告山部は九州厚生年金病院の給与体系が年功序列の要素が大きく、転勤先での再就職は不利になるとしてこれを断ったこと、その後二人の息子はそれぞれ就職して、現在は東京都と埼玉県に居宅していること、原告山部から相談を受けた八幡労組は、被告に原告山部の転勤についての話し合いの経過、本人事情の参酌と人選の考え方を質したものの、総合技術センター設置に伴う人員措置は労使間で了解手続が取られていること、被告は組合の要請を踏まえて、きめ細かく対応していること、原告山部と同様の事情がありながら既に転勤に応じた組合員との均衡を考慮する必要があることから、原告山部の転勤については被告の人事権に委ねる旨決定したことが認められる。

右事実によれば、原告山部は、経済的理由や妻の勤務等の理由から単身赴任を選択し、このため、経済的、精神的負担を被っていると認められるが、前記のとおり、被告の転勤援助措置により、経済的負担は相当程度軽減されており、同原告の子は既に就職して遠隔地に居住しているため、転勤後、単身赴任を解消する途もあったと認められ、前記八幡労組の対応を併せ考慮すると、本件転勤命令により、原告山部が受けた経済的、精神的不利益は、社会通念上、労働者において甘受すべき不利益の程度を著しく超えているとは認められない。

4  以上の次第であるから、本件転勤命令が権利の濫用に当たり、無効である旨の原告らの主張は理由がない。

三  原告美智子に対する不法行為の成否について

原告美智子は、本件転勤命令は原告中野に単身赴任を余儀なくさせ、原告美智子の幸福追求権ないし夫婦が同居する権利を違法に侵害する不法行為に該当すると主張するが、これまで説示してきたとおり、本件転勤命令は被告の業務命令権の行使として違法とは認められないから、右主張は理由がない。

第四  結論

よって、原告らの請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官池谷泉 裁判官小野寺優子 裁判官永留克記は転補につき署名捺印することができない。裁判官池谷泉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例